2017-05-31 第193回国会 衆議院 政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会 第6号
ずっと一億二千万まで達して、都会化が進み、東京だけではなくて都市部に人口が集中した。 他方、新潟県などをとってみると、米どころですから、戦後はたくさん人がおりました、農業に従事したり疎開をしたりして。その人口は二百三十九万人でした。先般の平成二十七年人口で何人だったかというと、二百三十万人。昭和二十年より平成二十七年の方が八万人も減っているわけでございます。
ずっと一億二千万まで達して、都会化が進み、東京だけではなくて都市部に人口が集中した。 他方、新潟県などをとってみると、米どころですから、戦後はたくさん人がおりました、農業に従事したり疎開をしたりして。その人口は二百三十九万人でした。先般の平成二十七年人口で何人だったかというと、二百三十万人。昭和二十年より平成二十七年の方が八万人も減っているわけでございます。
それが、今や片側二車線、三車線の大きな道路になって、その脇には大きなショッピングセンターが建って、ガソリンスタンドもありましてというような、物すごく都会化したんですね。 これはもちろん、私のいた名取市というところが、そこはいわゆる市街化区域ということにして、どんどんいろいろなものを建てていきましょうということにしたから、それはそれでいいんですよ。
例えば堺市のような、比較的都会化の進んだところでもやはりあるんですよ。あるんですが、話を聞いてみると、やはり助成の程度が知れているんですよね。ですから、なかなか民間会社としても全て聞くわけにいかない、こういうことなんです。 ですから、何か、全額持つかどうかは別として、柔軟にこういった需要に対応できるような仕組みというものを現実的に考えていただいた方がいいのではないか。
都会化される中の非常に何か過渡期でもある。その福岡なんかというのは、小学校、中学校というようなところでいったときに、小学校三十八位、中学校四十位というんですよ。非常に何か学力が低い、私の県なんですけど、ああ、何か残念だなと思うんですが。
大体、今、都会の方はどんどん、農村の方も都会化されているから、開発区作ったりいろいろ、そういうところは、中国のさっき私申しました国土資源部の方は厳しく今摘発されているところは、なぜ、農地の方は工業用地になっているというところで、農民の方は、戸籍の方は一緒に与えると。与えて、お金も与えても、そんなにお金与えないから、農民たちは農地、土地はなくなっていると。そういうところですね。
特色ある地方の発展というようなことになってきて、小さくても、別に都会化されていなくても、工場が来ていなくても、おれのところはどう考えたって、ほかのところに比べてこれがいいとかあれがいいとかいうような話が言えるようになってきて、私どものふるさと再生事業やら何やら、ふるさと大賞の表彰をさせていただいた中でも、へえというようなものが実に小さな町村で非常にプライドを持ってやっておられる。
つまり、今の子供たちが、情操教育といいますか、あるいは自然と接する機会といいますか、日本が非常に都会化されて、運動場までコンクリートにしている学校がいっぱいあるわけですから、そういった意味で、どれだけ学校ビオトープをこれからつくっていくかということが、子供たちの教育、また環境を考える、あるいは今言う切れるとか、校内暴力とか、そういったことにもこれは非常にいい問題ではないかと思っております。
そうすると、これだけ都会化してきて交通も渋滞してきている、こういうことになると、やっぱりいざ鎌倉といったときになかなか招集をかけるのが大変だというようなこともあって、その当時関口前長官が府警の本部長をしておられたので、それで何とか改善をしたいと。ところが、国の枠と補助面積は決まっていますね。
つまり見かけと現実とは随分違う、まだ地域社会が残っているように見える、都会化していないように見えるけれども、子供たちあるいは主婦あるいは男のさまざまな内面的な動機はかつての村社会とは随分違ってしまっているわけです。具体的に言えば、情報にあおられたりしているわけです。しかし、周りにはある形を守ることを強制してくるような、期待してくるような共同体が残っているように見えるわけです。
私は、埼玉県の所沢市に生まれまして、武蔵野の大変自然豊かな、そういう環境でもありましたし、しかし、東京に近いわけですから、かなり都会化してきたというふうな傾向が見えておりました。お嫁に行った先が飯能でございまして、これはまた緑と清流に恵まれましたすばらしい自然環境の中で過ごしてまいったわけでございます。
○沢藤分科員 もう一点追加してお聞きしたいわけですが、今の延長になるわけですけれども、一極集中という言葉にあらわされているように、都市化、大都市化、都会化が進んでいる。反面、当然過疎過密ということで、片一方では過疎現象が進行するという非常に大きなアンバランスが生じているわけです。
特に、私の選挙区のことなんか考えますと、田舎の方へ行けば行くほど無投票が進み、都会化しているところがあればあるほどそれは無投票がないという必然的なことになっているわけですが、そういったばらつきからいうと、むしろ過疎というかそういった場面での無投票当選という問題が一番大きいのじゃなかろうか。
これは都会化だとか通勤とか、そういうことではなかろうかと、こういうふうに見えるわけでございますれども。なおこれは何らかの形でスポーツを行った者でございまして、スポーツをする者は比較的濃厚に時間を割いてやるというそういう面があるのではないかと推測されております。
一遍建てさせて後からもう少し容積率を上げたり、どうせ一遍建てたら周辺がだんだんと都会化するわけですから、区域そのものをある程度縛ってしまう。いろいろ説明を聞くと、何か木造三階建てでも余り延焼しないのだというような説明ですけれども、その辺はいささか疑問がある。何で木造三階建てを認めることにしたのか。 一説によると、アメリカあたりから大分プレッシャーがあったという話さえ聞きます。
しかし、都会化したところというのはうんと滞納が累増しているのが現実の姿なんです。その内容を分析してみると、必ずしも低所得者が滞納しているかというと、意外にそうでないんです。今の高額医療というのは、盲腸を切っても大体高額医療になりますからね、今は。昔は盲腸なんかで高額医療にならぬ人が、今は当然になっておりますね。
どんどん都会化の波が及んできまして、農村地帯にいろいろな文化的な施設、設備等が出てくる。その中でやはり一番問題になってくるのは、私は下水道だと思うのです。トイレが水洗化されてないということは、やはり若い女性、特に嫁さんが来ないとかという一つのネックにもなっているという原因にもなっているということでありますが、快適な生活、しかも安全な生活を農山村漁村というところに大きく展開していかなくてはいけない。
したがって、最近の子供さんはどうも都会化が進む中で、遊びの中にそういう冒険といいますか、試行錯誤といいますか、対応の仕方といいますか、こういうものが非常に劣っているんじゃないだろうかなと。だから何でもないところから落ちて大けがするとかいうような問題が私は出てくるんじゃないかなあ。
今回、こういった形で地上の風土も都会化される状況でなしに、いまの自然の状況をそのまま残していただけるということでございますと、こういう遺跡なんかを調査の上、整備保存いたします場合にも、都会地の谷間の中でぽつんぽつんと点在するということでなしに、本当に歴史的な由緒のあるゆかしい雰囲気の形成ができるという観点で非常にありがたいと考えております。
特にいま都会化の波というものは、東京や三大都市圏だけではございませんよ。五万都市でも七万都市でも、どんどんそういう都会化現象というものは、東京並みの中央から農村地帯の方に求めていくという傾向が強いわけです。こうなりましたら、平地がいずれなくなるのじゃないかと思うぐらいこういう攻勢というのがあるわけですから、そこの点やはり考えるということは必要じゃないか、こう思うのです。その点どうですか。
先般井上代議士の方からも摂津市はどうなっているのかというようなことも、ございますように、大阪だけじゃございませんけれども、大都市圏においては小さな人口の市であっても都市化されているという状況でありまして、五十万の市も五、六万の市も同じく都会化のような状況になっておるということを考えた場合に、枠と一定の予算というような関係もあろうかと思いますけれども、そこは柔軟に考えていただきたいというように私は思いますので